|
Wだし(カツオとチキン)そして、癖になるスパイス入りという事で、早速購入。
勿論、10分どん兵衛で調理して、キザミ葱を買って葱ダクどん兵衛にして頂きました。
まず、出汁から頂くがカレーなのでカツオもチキンも存在感が元々薄い。
しかも、葱ダグにしたので尚更、薄まっている。そして、スパイスが利いています。
私好みの辛さですね。そんなに尖った辛さではなく、朝鮮の唐辛子なのか?マイルドです。
ただ、オリジナルのカレーどん兵衛のようなトロミがありません。かなり控え目でサラッとしています。
チキンよりも豚か?牛にして欲しいですね。次は葱を控え目にして、カツオを楽しんで食べてみます。
|
過去の投稿月別表示
[ リスト | 詳細 ]
|
日曜日の27日は、今年初めての阿久鯉先生の会でした。土曜日よりはやや風が穏やか。
らくごカフェがある古書センタービルに行くと、ボンディが相変わらず行列に。
日曜日は、他のカレー屋さんが休みなのもあるけど、それにしても大行列です。
噂では、外国人向けの旅行雑誌に載ったのも影響しているようで、外国人も列にちらほら。
そんな日曜日に開催された、「神田阿久鯉の会」、こんな内容でした。
・三方ヶ原軍記「湯水の行水」 … いちか
・柳沢昇進録「淀屋辰五郎、光圀公に逢う」 … 阿久鯉
お仲入り
・柳沢昇進録「藤井紋太夫手討」 … 阿久鯉
・赤穂義士 銘々傳「スキスキ金右衛門様」 … 阿久鯉
1.湯水の行水/いちか
この噺をいちかさんで聴くのは二回目ですね。三方ヶ原軍記にも、こんな物語がありますよ!的な噺である。
ただ、そんなに面白い物語ではなく、かっこい修羅場も無い。今後彼女が二つ目に成ってからも続ける根多か?
冒頭の我慢比べ、真冬の行水の場面が、少し面白いけど、あとは結構つまらない噺です。
せめて、最後の戦場・三方ヶ原軍記での戦闘シーンに見せ場があればと、おもったりもします。
2.淀屋辰五郎、光圀公に逢う/阿久鯉
登場音楽は、山口百恵特集。黒紋付で凛とした感じで登場の阿久鯉先生でした。
本当に、弟弟子の松麿さんが可愛いんですね。
松之丞さんが入門したばかりの頃と比較しながら、『麿は、目がキラキラと輝いているが、松之丞は…』
具体的には書きませんがご想像下さい。
会話したのも、松之丞さんとは3年くらい前からだと言う阿久鯉先生。
冗談まじりに、真打を目前にして、松之丞スキャンダルが出ないものか?!と言う先生。
確かに、今マスコミが狙っていても不思議じゃない。DVとか不倫は、今の時代ご法度ですからね。
そんな年末年始の雑談を10分ぐらい語り、連続で読まれている『柳沢昇進録』へ。
今回は、落語でもお馴染み「雁風呂」の噺です。
水戸黄門記に「雁風呂の由来」があると知っていましたが、柳沢昇進録にも、
全く同じ噺が有るんですね。初めて柳沢で聴きました。
柳沢が、妻・オサメを五代将軍綱吉に差し出して、寝取られて設けた子ども綱千代を次期将軍にと画策します。
綱千代を大阪城の城主に据えて、参覲交代を、西の大名は大阪城へ参勤させ、
東の大名は従来通り江戸城へ参覲交代します。
この企みの覚書を、綱吉から柳沢は取り付けて、西の大名を調略する為に、金が必要になる。
そこで、大阪の豪商・淀屋辰五郎から、その晋代を奪います。このくだりは、落語には出てこない所ですね。柳沢のヤの字も出ないから。
その財産を奪われた辰五郎と、柳沢の陰謀に対して忸怩たる思いの光圀公が、
東海道は三州岡崎の宿で、雁風呂の衝立を介して出会う展開になるのは、落語の『雁風呂』と同じ。
その後、光圀公が辰五郎の為に、借金の取り立てを容易にさせるお墨付きを書いて助けると言う展開も、
落語と一緒と言うか、元が講釈だから当然です。
さて、阿久鯉先生の「辰五郎と光圀」は、岡崎の一膳飯屋で、その主人と光圀のメニューに対するやり取りが、
落語には無くて、実に楽しいやり取りです。
超武ばった喋りの光圀公に対して、一膳飯屋の大将は、相手が黄門様とも知らず、
たかだか50文の飯に、注文の多い客だと煙たがる。その対比を上手く笑いに変えて始まり、
一層、後半の雁風呂の薀蓄が際立って締まる噺になりました。そうそう、
小満ん師匠の『雁風呂』は函館の浜の松が舞台ですが、松鯉先生から引き継いだ阿久鯉先生は津軽の浜の松が舞台でした。
3.藤井紋太夫手討/阿久鯉
仲入り中に、ボンディにまだ行列ができていると話していたら、楽屋の阿久鯉の耳にも入り、
このボンディの賑わいをらくごカフェの集客に利用したいと言い出す先生。
らくごカフェの青木さんが許すなら、阿久鯉の会はボンディのカレーの出前アリにすると言い出す。
つまり、並ぶのが嫌やな人は、木戸銭払ってらくごカフェから、ボンディに出前を取ると言うのだが、
はたして、千円のカレーを食べるのに、二千五百円の木戸銭を払ってでも並ぶのは嫌だと言う人が現れるのか?
さて、この「藤井紋太夫手討」も水戸黄門記にもある噺なんだそうで、舞台は“生類憐みの令”が発布された頃に遡ります。
隆光と柳沢が綱吉の嫡男が病死したのを受けて、“生類憐みの令”を提案し、天下にこれを号令します。
その事に水戸光圀公が反発し、犬の毛皮を綱吉に送ります。中を毛皮と知らず開けた綱吉は激怒しますが、
光圀公を罰することはできないので、その場はそれで収まります。この事件は史実ですよね?歴史番組で見た記憶が…
ここからが講談らしい展開になり、この事件を柳沢が利用して、その陰謀に水戸家の重臣・藤井紋太夫が手を貸すのです。
柳沢の陰謀は、現・水戸藩当主・綱枝公の後に、柳沢の実子を養子に据えるというもの。
毛皮の件に尾鰭を付けて、光圀公ご乱心と江戸城内に流布します。しかし、光圀公の方が一枚上手で、
綱枝公との代替わりと、これが最後の江戸になりますと言って、お別れの能会を開き、自身も能をひと舞いします。
徳川家に限らず、この当時、代替わりする際に能会を開くというのは一般的だったらしいです。私は初めて知りました。
この能会で、楽屋にある鏡の部屋に藤井紋太夫を呼びだし、そして、光圀公自らの手討ちにします。
この藤井紋太夫を成敗する描写が、実に阿久鯉先生らしくて迫力満点です。同じ松鯉先生の弟子でも鯉栄先生とは、
殺人の描写が違いますよね。より生々しいというのか、時代劇に近い迫力を感じます。
この後、藤井紋太夫の妻と息子は、光圀公の計らいでおとがめなしとなるのですが、単なる偶然なのか?
後の八代将軍吉宗の時代に起きる、徳川天一坊事件、この一味に藤井紋太夫の息子が加わっています。
勿論、講釈の世界の噺で、史実ではありませんからね。
4.スキスキ金右衛門様/阿久鯉
陰惨な噺で新春一発目の会を終わるのは、ちょっと申し訳ないと仰って、最後に義士傳「岡野金右衛門」の改作、
神田茜先生の「スキスキ金右衛門様」で、陽気に〆た阿久鯉先生でした。なかなか、茜先生らしい笑いの多い作品。
金右衛門様は美男子で、吉良邸の絵図面を盗み出す相手、大工の娘も美少女小町というのが原作の設定ですが、
茜版では、大工の娘はブスという事に。根多バレになるので、これ以上は書きませんが、
阿久鯉先生の意外な可愛い一面が見られて、貴重な一席となりました。
|
|
文菊さんの会が自由が丘で終わり、銀座線に乗る為に渋谷へと出る。渋谷で東横線から銀座線乗換は遠すぎるので、
半蔵門線に乗り三越前まで行く。改札を出ての乗換になるので、日本橋で蕎麦屋へ入り軽く腹を満たす。15時半になる。
三越前から稲荷町へ。15時50分くらいだったので、DOUTORでお茶する。文菊さんの会のリビューメモの整理などしながら、
17時少し前に、一番太鼓に行ってみる。まだ流石に誰も居ない。冷たい風が吹き荒れていたので階段横に入る。
スマホを弄りつつ待っていると、はだか先生が一番太鼓さんから出て来る。二階に荷物を置きに行かれ、電話も掛けていられた。
開場時間の5分前には、7〜8人の列になっていた。25人くらい超満員になった。新春スペシャル、こんな内容でした。
・落語の仮面「三遊亭花誕生」 … 粋歌
・スタンダップコメディー … 寒空はだか
お仲入り
・二番煎じ … 天どん
1.三遊亭花誕生/粋歌
この日の翌日、粋歌さんは黒門亭の出番が決まっていて、そこで、落語の仮面第二話「嵐の初天神」を掛ける予定だった。
そんな流れがありつつ、明日黒門亭に行くファンに向けて、第一話の「三遊亭花誕生」をやりました。
既に3回聴いていて、これが4回目になりました。粋歌さんの落語の仮面の中では、比較的白鳥師匠の原作に近い。
なんと云っても、花ちゃんが寄席の初高座で、与太郎小咄を披露する場面が、実に、エキセントリックでいい。
先代の初代古今亭志ん五師匠の与太郎を彷彿とさせる与太郎ならぬ「ヨタ子」が魅力的です。
2.スタンダップコメディー/はだか
昼間は東洋館に出て、夜は一番太鼓という浅草芸人らしいスケジュールのはだか先生。
カウントダウン寄席で聴いて、もう一回聞きたかった、高輪ゲートウエイの歌がまた聴けた!!
「ゲゲゲの鬼太郎」の替歌なんですよねぇ。更に、寒空冬将軍の小咄もまた聴けた!!
「突然で申し訳ありませんが、お金を下さい。」
「貴方だれですか?」
「冬将軍です、お金を恵んで下さい!!」
「なぜですか?見ず知らずの君に…」
「だってぇ、カンパ(寒波)だから。」
昨年、カウントダウンの楽屋で思い付いた小咄だと言っておられました。
更に、2020年東京五輪の曲も、また聴けました。タツノ子プロのタイムボカンシリーズの主題歌の替歌。
このシリーズの主題歌の作曲をしている人は、燃えよドラゴンズ、中日応援歌の作曲者なんですよねぇ。
そして、タイムボカンシリーズの主題歌は、どれも似ているらしいです。私はヤッターマンくらいしか知らない。
新元号についても、「日本人は閉店セールが好きだ!」と、はだか先生らしいギャグを飛ばしておりました。
3.二番煎じ/天どん
まさかの古典。しかも、二つの斑分けをしなくて、宗助さんが番太郎という事で、雲助師匠の型でやっておられました。
最後に聞いたら、やっぱり、雲助師匠から稽古を付けてもらった『二番煎じ』なんだそうです。白酒師匠とも同じです。
雲さんが、天どん師匠の真打の披露目で言っておられたが、「俺から習って、上げの稽古は一応、見るんだけどさぁ、
俺の噺が、原形を留めないくらいに弄られてしまうから…」と、嘆き節だった。
まだ、天どんらしさ満開とはいきませんが、辰っさぁんの吉原で持てた話を月番さんが異常に聴きたがるのは面白かったです。
辰っさぁんに喋らせようと囃子立てるヨイショが、天どん師匠独特でね。ああいう演出が満ち溢れると完成です。
会の後に、希望者だけ参加費用2千円で打上がありました。飲み放題で、豆もやしのサラダ(ナムルっぽい)、青椒肉絲(豚の細切)、
水餃子、鳥肉のチリソース和え、麻婆豆腐、そして小さいご飯が出ました。しかも、作りながら熱々で出ます。感謝しかありません。
この打上で、粋歌さん、はだか先生と貴重なお話ができて実に有意義な時間でした。
|
|
冷たい北風が吹き荒れた26日土曜日のお昼、文菊師匠の地元、自由が丘・古桑庵での独演会も40回目の節目を迎えた。
勿論、完売満員御礼だが、相変わらずドタキャンがあって、空席がポツポツ出ておりました。本当に残念です。
文菊師匠は、この古桑庵の前日25日金曜日に歌舞伎座での公演があり、そっちに行った常連さんが、欠席でした。
だから、結構初めて見るお客様が目に付きました。常連さんが皆無ではないですけどね。フレッシュな感じでした。
そんな第四十回目の古桑庵での文菊独演会、こんな内容でした。
・つる
お仲入り
・文七元結
1.つる
古桑庵の女将の出囃子操作が相変わらず雑である。CDラジカセで流すのだが、音量が小さ過ぎて、
奥の襖越しで控えている文菊さんの耳に届かないレベルなのだ。そして相変わらず、出囃子を止めるタイミングが早い。
普通は、おじぎするまでは流し続けるものなのに、高座に師匠が到着し座り始めるとフェードアウトして消す。
だから、二回目の拍手が起きる前に、出囃子は止まっております。
さて、改めて古桑庵の客席との距離感を弄る文菊師匠。ここはお座敷落語の距離だ!と言う。確かに。
八代目文楽が百万円のギャラで、料亭のお座敷でご贔屓のお大尽を前にやった芸は、この距離だと思いました。
まぁ、古桑庵は低い高座があるけど、お座敷落語だと畳の上に座布団置くだけだと思いますけどね。
マクラでは、正月浜松町、大門のプリンスタワーホテルの新春演芸会に行った話から、
“演芸会”なので、○○の間って大きな会場に、手品や、曲芸、漫才と一緒に落語のコーナーもある。
そこで二つ目さんと一緒に高座を勤めたけど、落語は弱い芸だがら… 文菊師匠は玉砕だったらしいです。
この日、古桑庵の後は、某お大尽の誕生パーティーに行くと言う、文菊さん。旦那様が外国人のお宅。
外国人比率が高いと、この誕生パーティーでも玉砕か?と、心配されていました。
さて本編の『つる』隠居の様子が良い。そして八五郎との対比が素晴らしい。
文菊さんは、“粗顔”と頭ではなく、顔が粗末だと八五郎が言うのも面白い。
まぁ、そんなに大爆笑するような噺ではないが、隠居がもう一回聞きに戻って来た八五郎に、
「お前さん、脇でやって来たなぁ?!しょうがないなぁ〜」と言いながら、もう一度教えてやるのがいいですよね。
2.文七元結
最後は長講をと言って始めたのが『文七元結』でした。2017年の大晦日に聴いて以来、1年ぶりの文菊さんの『文七』。
さんどら煩悩、飲む打つ買うのマクラから本編に進み。長兵衛親方が落雁肌の名人から博打で身を崩すまでを解説。
50センチくらいの距離で文七元結を聞くのは、初めてで緊張した。矢来町の型、勿論、あんな芝居掛かっては演じない。
長兵衛が博打に染まり荒れた感じが、女房への八つ当たりと、着物を脱がせて奪うやり取りで色濃く出ます。
それまでは、上品というか大人しい長兵衛なんだけど、職人気質の粗っぽさ、鉄火な感じが見え隠れします。
あと、文菊さんらしい工夫だと思ったのが、佐野槌にほっかむりしていく、恥ずかしいので裏口に回り、
女中の前でほっかむりを取ると、やっと女中に長兵衛と分かる。細かい芸だが、文菊さんらしいと思いました。
ただ、吾妻橋まではいいペース・時間配分で展開されるが、この後が長く感じた。実際の時間はそんなに長くない。
そうそう、主人の近江屋卯兵衛が文七に、「誰から五十両貰ったんだい?」と聞くと、文七が「サァー?」
と、他人事みたいに応えると、卯兵衛の返しがいい。「雨が降ったみたいな返事して…」と言います。この科白好き。
一方、佐野槌の女将がやや控え目というか、存在が薄い。だから、文七の命を助ける長兵衛に女将が乗り移ったような演出はない。
旦那の羽織の残りキレで作った財布は矢来町と同じだが、矢来町みたいに芝居じみた演出ではありません。
あくまで落語っぽく文菊さんは演じます。菊之丞師匠もそうですが、芝居じみてやる人は、あまり古今亭には居ない。
この後、文七が近江屋に帰ってから、多分、古桑庵の営業を待って行列が外にできているのが文菊師匠に見えたのか?
少し急いでサゲに向かおうとするんですよね。そんな焦りが在ったからか?卯兵衛と文七がだるま横町の長兵衛の長屋を訪ねる際、
通る吾妻橋の上で、昨日の身投げに触れないし、小西で角樽を借りない。抜いてもそんなに短くできる部分じゃないのに、
この二つが抜けると、ちょっと違和感を覚えました。
それと毎回思うのが、着物にも困っている長兵衛宅に、なぜ、屏風があるのか?文菊師匠は衝立ではなく、屏風と言いました。
二束三文の衝立は売っても仕方ないから、在るのはまだ納得するが、屏風が在るのなら長兵衛は売ると思います。
そうだ!あと、ヨレヨレで縄みたいになった帯の事を、「猫の百尋みたいな帯」って言いますよね?
「百尋」。私はクジラが取れた時代に博多で育ったから、両親や祖父母が“クジラのヒャクヒロ”を食うから知っていますが、
現代人は、理解できるんでしょうか?「百尋」。“ひゃくひろ”って腸、ハラワタ/ホルモンを指す言葉ですよね。
猫のハラワタが、細くてヨレヨレだって、昭和20年くらいまでは、世間一般に、みんな知っていたんですよね。
食べるから知っているのか?猫のヒャクヒロ、美味いのか?って興味が湧きました。
あと、土曜日に文菊さんで聴いたから久しぶりに、矢来町の音源、濱永さんの「神奈川県民寄席」の音源で聴きました。
この佐野槌までを上、吾妻橋・近江屋・だるま横町を下と分けて演じる志ん朝師匠の『文七元結』は、完全に芝居調。
私は矢来町が使う口癖、「嫌んなっちゃったなぁ〜、どうも!」。これが江戸から明治の風情に合わない気がして、厭です。
無意識に出るんだと思うんです。喬太郎師匠の「何んつってぇ〜」と同じで、凄く気に成ります。この音源でも1回使った。
それ以外は、矢来町らしい言葉で、笑ったのが女房が腰巻をしていない。すると長兵衛が風呂敷を巻けと言う。
紋付の腰巻なんて豪儀じゃねぇ〜か、と言う馬鹿馬鹿しさが実に落語らしくていい。
あと芝居っぽさが出ていると感じるのが佐野槌の場面で、長兵衛が自身の借金苦を「仕事なんぞ、している場合じゃない!」
と表現します。ひと山当てて纏めて返さないと、おっつかないと云います。芝居らしい表現です。
これに対して佐野槌の女将は、纏めて一度に返せないだろうから、少しずつ返しに来いとアドバイスします。
あと、長兵衛が女将に、お久に礼を言えと指図されても、なかなか言えない。ハナは佐野槌の女将に礼を言う、お久に直接言えない。
江戸っ子の職人気質が、実に矢来町らしく描かれておりました。ちなみに、上が32分、下が46分でした。
そんなのと比べると、まだまだですが、あくまでも落語で自分の世界を表現しようとする文菊さん。
これからも文菊さんの『文七』を見守っていきたいと思います。そして、次回は五月二十五日ですから、これが、平成最後の会でした。
|
|
今週は、1週間ホールの会も寄席も行かずに終えた。この週末は3つ行く予定ですが…
そんな事もあって、ゆっくり冬の噺を考える時間を持ちました。久しぶりにブログに沢山“書いた!!”と自分でも思った。
寄席や会の様子や感想を書くのとは違って、日ごろの“よしなしごと”考えるというのも個人的には有意義で楽しいものである。
さて、その最後にいつか書こうと思っていて、なかなか書く機会が無かった、「演者の芸と年齢」について書きたいと思います。
10年くらい前ですかね。談春師が、マクラで喋ったか?インタビューの記事だったか?は、忘れましたが、
「俺の芸は、別に若い頃と、今とでそんなに違わない。ただ、俺の年齢が、落語の登場人物の歳に近付いただけだ。」
と、40歳凸凹になり、突然注目されて、評論家たちが談春師自身を持て囃すようになった理由を聞かれ、こんな事を云ったのを覚えています。
その噺を漏れ聴いてだったか?文蔵師匠だったと思うけど、「確かに、二つ目ん時と変わらなねぇ」と言う意見も耳にしました。
この、突然芸人が化ける!ってヤツ、在りますよねぇ。何が変わったって訳じゃないのに、以前より「良い」と感じる節目。
必ず、どんな芸人にも有るんじゃなく、そうですね。50〜100人に一人くらい、この節目が見える芸人が居ります。
そんな私の目線で節目を感じた咄家を、とりあえず、具体的に上げてみたいと思います。
まず一人目。三遊亭歌武蔵師匠。年齢で言うとちょうど30歳くらいですかね、彼が真打になって間もない頃に、凄く良く成ったと感じるようになりました。
もともと、相撲上がりなので、お相撲さん特有の声の持ち主でした。それが落語に、若い頃はマイナスだったんです。
また、押し出しの良い喋りは、若い頃からだったのですが、真打を迎える辺りから、押し一辺倒ではなくなりました。
抑えたり引いたりする話術を覚えて、より押しが際立ち、個性あるいい芸になって行ったと思います。
そうなると、変なもんで、以前は聞きとりにくいと思った声が、味わいのある声に変わったんですよね。
次に、三遊亭遊雀師匠。以前は、柳家三太楼でした。権太楼一門の総領弟子で非常にムラっ気のある芸でした。
良い時に当ると、びっくりするぐらいに感動する噺をするのに、やる気がまったくない高座に当ると最低でした。
なんだろう。芸人として燻ぶっていました。同期や少し先輩、後輩に対する妬みや嫉みが凄かったように思います。
「人間万事塞翁が馬」 何が良い方向に転ぶか人生分からない典型だと思います。あの事件後、二年の浪人があり、
小遊三師匠に拾われて、芸協に入ったとたん、水を得た魚のように芸に、ムラっ気が無くなりました。落語を高座で語る喜びが、客席にも十分伝わりました。
当時の芸協という環境も良かったと思います。若手の二つ目さん達が、落協へライバル心を燃やして稽古に励み出し、高座では引けは取らない!そんな機運が高まった。
あの成金もその延長線上で誕生しました。その若い二つ目世代に、遊雀となった三太楼の芸が大いに受入られて、
「稽古してください!」「稽古してください!」と、若手の遊雀詣が始まります。
そうなると、頼られる兄貴分として風格が人を育てるかたちで、遊雀師匠の落語は、ワンステージ上の芸へと昇華します。
今、芸協の若手がやる爆笑の『熊の皮』は、遊雀さんの型です。成金世代より若い芸協の連中は、たいがいこの噺を持っていると思います。
最後に、外せないのが柳家三三師匠です。私は小田原に住んでいたから、前座の最後くらいから、小多けだった三三さんを聴いていたが、声がやたらデカく元気よく、ややトボけたフラがある若者だった。
不器用なのと、兎に角面白くない喋りで、ハズレると救いがない落語を何度か聴かされた。唯一褒めるなら声がいいぐらいか? そんな三三さんが、変わり始めたのは、二つのポイントが有った。ひとつは小三治に弟子入りして、年が近い破門されなかった兄弟子が禽太夫と一琴だったんで、 意識はしたろうが、進む方向性でぶつかる事もなく、上手い距離感で接して行けたのが良かったし、何より小三治師にいつ破門!って言われるか?この緊張感で育ったのもプラスだった。 また環境で言うと、落研とかで汚れた癖もなく、小三治の純粋培養のような弟子になれたのも、後から考えると芸の幅ができたと言える。 一方、もう一つは柳亭市馬の存在だ。ひと回り以上歳下の三三にとって、市馬師匠は格好の手本であり、目標となる。 本当に基本的な所作や、市馬博士と言われるぐらいな蘊蓄を、三三さんもよく吸収していると思います。 そして、真打に昇進した頃から、市馬・談春・三三の落語ユニット「三人集」を立ち上げて、2006年から2009年まで、互いに切磋琢磨した事で、今の三三が生まれたんだと思います。 この「三人集」、当初は五人、七人のユニットをという話もありながら、結局三人になったのですが、今の成金とかと考え方は同じで、その先駆けになりました。 尚、現在、M'sの加藤さんが席亭を勤めながら新版三人集という、一蔵・市弥・小辰の三人が名前を継いで活動中です。 ここまでは「化けた」咄家ですが、逆にあれだけ凄かったのに、今は…って咄家も居ます。 詳しくは、あえて書きませんが、抜擢で真打になり、人気が爆発すると急に忙しくなります。 芸人も、アスリートと同じで努力して練習・稽古を積んでこそ、その素晴らしい芸は保たれている訳で、売れっ子になると、高座数は飛躍的に増えます。 一之輔師匠の例で言うと、真打が決まった披露目の前年は、400席凸凹だったのが、一気に披露目の年は750席ぐらいに増えています。 おそらくそこから真打になって7年?だか8年が経過していると思いますが、800席凸凹を毎年こなしているハズです。 だから、芸が荒れて来るのも分かりますよね。雑な時もあります。それでも、ネタ卸し・蔵出しの会は定期的にやっているし、挑戦し続ける姿勢は立派です。 そんな売れっ子になると、たいがいは、やった事のある噺が200ぐらいで、持ちネタと呼べる噺が120から150ですよ。 一週間、サラう時間があれば80%以上のクオリティで高座に掛けられるが、売れっ子は、なかなか時間が取れない。 地方への移動の交通機関の中やテレビ・ラジオの待ち時間にもサラうけど、稽古の絶対量が足らないと50〜60%のデキでも高座に掛ける。 結果、その同じネタを場所が変われば、また掛ける事になり、本場の高座が稽古になり、追っかけファンは、カミカミだった啖呵が切れッ切れになる過程を見せられる。 まあ、熱狂的なファンだから、一年くらいは楽しいかもしれませんが、年間百席聴いて三十種類くらいの噺だと、三年もしたらファンではなくなり、悪口を言う側に回ります。 こうして、人気者は、まずファンに飽きられて、高座から消え、割のいい仕事にまわり、昔は良かったと言われただのタレントになります。 あの六代目圓生ですら、晩年は移動中のタクシーで常に噺をサラっていたそうです。また、柏木の師匠は300を超える持ちネタがあるから、ラジオやテレビで掛けた噺は地方でも、最低半年、可能なら一年は掛けないように手帳にメモして管理していたと、直弟子さんから聞きました。 一方、中には頭のいい人気者も居ます。自分は芸に専念して、マネージメントは他人を雇う。チームで芸人を核にして動く事で、 分業分担し芸人に稽古や創作の時間を与えてクオリティを保つというやり方。そう!志の輔、談春、志らく、そして小三治や市馬も似た手法です。 昔は、太いオダンが贔屓に付けば、経済的憂いがないので、好きに芸道に邁進できましたが、今は効率よく働き、分業で雑用はアウトソーシングするのが、売れっ子芸人の生きる道のようです。 これは、確かに良い方法ではありますが、志の輔師匠のPARCO公演のように、デカい函で、収益を上げてスタッフを養う仕事を好き、嫌いに関係なく、やり続ける必要に迫られます。 スタッフの家族ぐるみを引き受ける事になるから、この興行のノルマから、一度ハマると抜け出せない、人気者の宿命のような負のスパイラルなのです。 前にも書きましたが、談春師匠がしみじみ言っていました。松之丞は、今何やっても楽しいだろうなぁ〜と。 松之丞さんは、これから五年くらいが試金石ですよね。講釈師を通して夢の講釈の常置小屋が作れるのか?それとも、単なるタレントになってしまうのか? 三代神田山陽のようには、なって欲しくありません。常置小屋を作り「本牧亭」の名前を復活させて、奥さんの理沙さんを女将にし、その功績で七代神田伯龍を襲名して欲しい。 |




